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深田太郎×上村汀トークイベント

阿久悠と上村一夫は生前、不思議な縁で結ばれていました。
人生の節目節目で影響を与え合ったふたり。
そんな昭和を駆け抜けた父親たちのあの頃を、50歳になった子供たちが
初めて語り合うことになりました。


【2016年3月12日(土) 「わが青春の『同棲時代』 上村一夫×美女解体新書展・弥生美術館2階展示室にて




上村一夫と阿久悠の関係に「女 子ども は関係なかった」


上村: まずは、私と太郎くんとの出会いなんですが...。

深田: 2002年に僕の父親のスタッフの忘年会がありまして、そこで紹介してもらったのが汀ちゃんとの最初の出会いなんだけど、ちゃんと仲良くなったのは、うちの父親が死んだ年が2007年だから、それ以降かな。

上村: そう、親が亡くなってからちゃんと仲良くなったというか。

深田: 僕もその時ね、初めて汀ちゃんが自分と同い年って知って。

上村: 私も阿久さんの子どもがどんな人か知らなくて。お互い知らなかったですよね。

深田: 親同士仲良くて、さらに子どもの年齢が一緒だったら普通少しは子どもに話すようなものだと思うけどね。(笑) 僕ね、上村さんに子どもが居るっていうのだけは知ってたの。父から聞いててね。

上村: 本当ですか。私はそれすら知らなくて。

深田: 上村一夫と阿久悠の関係に「女 子ども」は関係なかったみたいね。

上村: 家族の話をしないのがスタイルというか。

深田: しない、しない。

上村: らしいな、とは思うんですけど。全然知らなくてお互い親が亡くなって、2008年に私が初めて自分の企画で神楽坂で父の原画展をやった時に太郎君が来てくれて、それで意気投合してね。ちょっと遠い親戚みたいな感じで今もお付き合いが続いているという感じなんですけど。

深田: 今回この話(トークイベント)を振られて、僕も汀ちゃんもお父さんの思い出の少ない子どもで。そこが共通しているからね。(笑) それで今日何を話そうかなと思ったけど、謎解きをやっているんですよね僕らはずっと。幼馴染でもなんでもないんだけども、何となく同じ謎を解こうとしている同志っていうか、共犯者っぽい。格好良く言うとね。僕はそういう風に思っている。

上村: 同じようなね、境遇の。

深田: 今日は阿久悠と上村一夫の真実とかではなく、ほんの一面だけ、パズルのピースみたいな感じで二人で喋って、皆で謎解きを楽しんでくれれば。

上村: お呼びするまで私全然気がつかなかったんですけど、そういえば太郎君にお父さんのことあまり聞いたことなかったなって。

深田: あんまり喋んないもんね。

上村: そうなんです。今日は質問をいっぱい太郎君に投げかけようと思ってちゃんと書いてきたんですが、最後に質問コーナーも設けておりますので、もし私が聞き足りないところがありましたら是非質問などいただければと思います。


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「太郎と汀」


上村: 最初に名前のことをちょっと伺ってみようかと思うんですけれど。

深田: はい。

上村: 私の「汀」っていうの名前も変わっているんですが、「太郎」っていう名前もかなり斬新で。ご両親はどういう思いで付けられたのですか?

深田: あのね、父に聞いたことがあるんだけど、「太郎と花子しか考えていなかった」って言われて。僕らの時って「太郎」って結構いなかったんですよ。

上村: いなかったね。今はいるんですか!?

深田: 今もいないかな。(笑)

上村: 今もいないよね。(笑)

深田: でも「花子」じゃなくて良かったな。(笑) ちょっとね僕、今思い出したんだけど、「太郎」ってこれ以上ないくらい日本的な名前なのに、外国人みたいに呼び捨てしやすいように「太郎」って付けたって言うのね、父が。不思議でしょ。外国人って名前呼ぶとき敬称付けないじゃない。

上村: そうなんだ!

深田: 外国人の奥さん貰ったらいいんじゃない、って言われたのも今思い出した。(笑)

上村: かっ飛んでますね、発想が。

深田: 阿久は日本を愛した人ではあったんだけど、アメリカ文化の愛憎みたいなものも持っていて。同じ世代共通だと思うんだけど。アンチ巨人みたいな感じ?好きだか嫌いだか分からない。「太郎」って付けているんだけど、外国人と結婚しろとか。汀ちゃんも「パパ」って呼んでたんじゃない?

上村: 呼んでました。

深田:僕も「パパ」なんですよ。たしか赤塚不二夫さんの娘さんも「パパ」でしょ。ニューファミリーっていうのかな。分かる世代の人は分かるかな。そういう複雑な愛憎があったんじゃないかな。

上村: そういう「太郎」。

深田: そういう「太郎」でした。(笑)

上村: 私の「汀」は、父のお母さんが五反田でバーをやっていて、そこに易者さんのお客様がいて、女の子で幸せになる名前を付けて欲しいって言ったら「汀」が出てきて、「汀」になったそうです。太郎君が生まれた頃、1965年って、お父さんすごく忙しかった頃ですよね。

深田: 65年はね、スパイダースの「フリフリ」のB面で、作詞家デビューしているの。そこが一応本当のデビューというか。「モンキーダンス」っていう。

上村: 時代ですねぇ。

深田: 構成作家やっていたから、番組の企画とかやっていて、エレキの番組。「世界に飛び出せ!エレキサウンド」っていう。それのレギュラーがデビュー当時のスパイダースで、毎週毎週オリジナルを作ってくれって言われて。全然作詞家じゃない頃。その頃かな。

上村: 宣弘社にも席を置いていたんですね。

深田: そうそう。隠れて「阿久悠」っていう名前使って。会社にバレるとまずいから。

上村: 「阿久悠」っていう名前はその頃付けたのかな?

深田: そうそう。二足のわらじ。